「きみだよっ!」
あなたは自担(推し)から満面の笑みでこう言われてことがあるだろうか。
あれは忘れもしない、
2017年12月の嵐ライブツアー「untitled」@ヤフオクドーム(現PayPayドーム)。
『指さして!』
派手なピンクと黄色の画用紙で手作りした数年モノのうちわを握りしめた私は
バクステ正面のスタンド、前から3列目に佇んでいた。
私のうちわを見るなりうちわに書いている言葉通り私を指差してくれた。
自分で書いておきながら、本当に私をさしているなんて思わなくて
私は自分を指差しながら口パクで「わたし!?!?」とつぶやいたら、
相葉くんが私をもう一度指さし、口パクで
「きみだよっ!」
そう言ってくれたのである。
満面の笑みでこちらの目を見た相葉くんのあの黒目がちな瞳を今でも鮮明に覚えている。
私は2009年の「マイガール」を見た時から葉担として生きてきた。
テレビの中の相葉くんと嵐の楽しそうな姿を見て元気をもらい、
楽しい時も辛い時もいつも嵐の曲を聴いていた。
私の思い出にはいつも嵐がそばにいたのだ。
コンサートにはほぼ毎年ありがたく参戦できていたが、
相葉くんから明確にファンサをもらったことはそれまでなかった。
(お手振りや周りのオタクに向けたファンサは全て自分のものだと思うようにしていたが。)
あれだけのキャパの中で、私だけにファンサをもらえるなんて思ってもいなかったし、
地方に住む私は、いつもテレビで見ていた彼ら、特に相葉くんが私を見てくれる日があるなんてこれっぽっちも思えなかった。
これは地方在住のオタク特有の感情というモノではないかと思うが、
私はいわゆるどこにでもいる普通の人間であり、しがないただのオタクだったし
心のどこかで「私は特別ではない」という気持ちがこびりついていた。
だから、当時描いていた夢ややりたいことに対してもどこか消極的で
(どうせ私にはできっこない。特別じゃないから。)
と諦める気持ちでいた。
そんな日常でもギリギリ腐らずにいれたのは
ありのままを受け入れて前向きに励ましてくれる嵐の曲や彼らの番組を見て
パワーを分けてもらっていたからだった。
葉担になった高校生から大学生を経て私は社会人になった。
入社した会社に対しては特にこだわりがなかった。
本当は好きな語学を使った仕事がしたかったが、
例の如く自信がなかったからとりあえず安定した会社で最初に内定をもらったという理由だけで会社を選んだ。
淡々と過ぎていく毎日。
年に数回イベントや番協、そしてライブに行き生きる活力をチャージ。
だけど心のどこかで「これでいいの?」というモヤっとした気持ち。
そんな中、冒頭のライブに参戦したのである。
1公演1公演、多くのファンに向けてファンサをしてくれて、
全体を通しても結構な人数へファンサをしてくれているんだろうけれど、
私にとってはその出来事はとても嬉しくて特別で
”願っていたことが叶う瞬間”
というのを初めて実感できたのだ。
これは私の人生観に大きな変化をもたらした。
「私でももしかしたら叶えていことを叶えることができるかもしれない。」
そう考えられるようになった。
この時の気持ちは、今でも私の心の支えになっている。
何か挫けそうになった時でも
「私は大丈夫。だってあの時相葉くんに見つけてもらえたし。」
と自分に言い聞かせている。
人生の舵を大きく変えたのがアラサーだったのでとても怖い気持ちもあったが、
やりたい仕事を活かしやすい関東へ転職&転居をしたものこの気持ちを糧に行えたことだ。
私の人生をいきいきと彩り豊かにしてくれた嵐、そして相葉くんに
とても感謝しているし、これから何があっても応援していくし
100年先も推すと誓うよ。
嵐が休止して寂しい気持ちもあるけれど
メンバーそれぞれがこれまでできなかったことを好きなようにやってほしいし
もちろんいち人間として幸せに生きてほしい。
月並みの言葉だけどマジで「生きてるだけでファンサ」なのだ。